「新·平家物語」は、中世文学を代表する傑作「平家物語」をどう新たにしたのか。新は何を意味するのか。それは古文を現代語に訳しただけではない。題材を『平家物語』だけでなく、『保元物語』『平治物語』『義経記』『玉葉』など複数の古典をベースにした。国文学者島内景二によると、吉川英治は「日本文学をあまりにも永く支配してきた滅びの美学に引導を渡し、それに替わってあたらしい理念を注入しようとした。」「平清盛や、源氏の武将や、運命に翻弄された天皇や庶民たちを、エネルギッシュで活動的な人間として蘇らせようとしたのだ。」島村曰く、「新·平家物語」というタイトルは「脱·平家物語」の宣言であり、「脱·無常観」を意味している。
「新·平家物語」は平安後期に台頭した武家平清盛を棟梁とする平家が、保元平治の乱を勝ち抜き藤原摂関家にとって代わる。二十年間繁栄した後、治承寿永の乱にて源氏に滅ぼされる歴史の流れを、多くの人々の行動、動機、感情を再現して織りなされた小説である。作者は、源頼朝が平家打倒と同時に、後白河法皇の院政を撤廃し、鎌倉に武家政府を創立してゆく革命の経過を追い、源平合戦の大将軍源義経が兄頼朝に追放され、奥州平泉で自害にいたる、対立の原因考察、歴史のヒーロー源義経の心情と平和を願う信念を描く。
吉川英治は「はしがき」にかえて『平家物語』の序文を引用し、日本人に定着している従来の歴史観、人生観たる、諸行無常、盛者必衰を出発点とした。しかし、作者は、それとは全く違う死生観と運命観を展開していく。「新·平家物語」の平清盛は、平安時代後期の最強の政治勢力後白河上皇と対等で政争し、藤原貴族による摂関政治を廃止させ、太政大臣、天皇の外戚となり、律令制度の伝統に縛られる貴族に比べ、新しい政策を導入、福原(現在の神戸)に平家の首都を作り、大輪田に台風で破壊しない港を造る。これにより、宋貿易が可能になった。このようにして平家一門は栄華の頂点に立つ。しかし、清盛の死後は、半貴族半武士となった平家は、東国の豪族を統一しつつある源頼朝に敗れ、破竹の勢いで北陸道を都へ進む木曽義仲軍により、京都から西国へ追放される。朝日将軍木曽義仲は都を制すること二年たらずで、源義経、範頼軍により宇治、京都、瀬田で滅ぼされる。その間平家は瀬戸内海を中心に海陸軍を再編、東国から押し寄せる源氏の陸軍を屋島より脅かすかに見えたが、源義経の率いる海軍により壇之浦海戦で大敗殲滅する。この小説は軍記物語である。平家全盛時代の中で、源頼朝、源頼政、木曽義仲と源義経が、みな同じ平家打倒の念願にむけて、それぞれ別な道を生き延び全源氏の目標を果たした生涯が全巻にわたってかかれている。治承寿永の乱で活躍する数々の東国の武将たちは、平安時代の華やかな貴族社会の下で、土着武士として堅実に生き抜けた個性の強い土豪たちで、頼朝は源氏の棟梁として東国を源氏の旗の下に統合していく。これら東国武士は源平合戦で多くの戦勝をあげ、おおくの武勇談が語られる。
作者はここで、滅び去る平家の公達たちの生涯を隈なく描いている。清盛以外の平家の人々は貴族の生活になじみ、歌をよみ、音楽を好んだ。それらの和歌や運命の戦いの前に奏でる雅楽の悲しい音色が読者の心に響く。戦勝殊勲第一人者と自他認められていた大将軍源義経は、梶原景時の誹謗中傷により、頼朝の反感を買い、頼朝は義経の忠誠を疑い源氏、鎌倉政府から勘当、追放する。義経は頼朝への忠誠を腰越状で誓うものの、新鎌倉政府の守護地頭に追われる。九朗判官義経は、弁慶、伊勢三郎などの数人の股肱と共に修験者に変身して、奥羽平泉の藤原秀衡にかくまわれるが、秀衡死後、頼朝の圧力に屈する藤原泰衡の手勢に襲われ果てる。作者は、義経の壇ノ浦の後の行動を詳しく追う。義経は頼朝の侮辱挑戦にもかかわらず、武器をすててあえて自滅の道を選び、再び多くの犠牲をもたらす戦争はしないと自分に誓う。その悲劇の英雄義経と家来の堅い主従の誓いは微笑ましく、また悲しい。
この小説には、権力を掴み取ろうとする男たちが果てしなき戦いに明け暮れする中で、時代の荒波に翻弄される女たちの恋の生涯が書かれている。まず最初に登場する平清盛の母で白拍子の祇園女御は、諸行無常のイメージとはかけ離れた精力的な女性である。それに対して、袈裟御前、藤原多子、常磐御前、祇王、静御前、千手、河越百合野はそれぞれ悲恋な生涯を送る。北条政子は頼朝の恋人、妻、そして時政の娘として頼朝の出世に大きな貢献をする。木曽義仲の妻、愛人の巴と葵は、藤原貴族の深窓の女とは全く違う木曽の山村で義仲と育った強い女武将である。彼女たちの義仲への愛も強烈である。女奴隷の山吹は義仲の愛を独占しようとする嫉妬の塊である。清盛の妻時子は、多くの子供を産む良き妻、母で半生を送るが、清盛亡き後は二位の尼と平家の人々から尊敬される平家の魂と自認し、壇之浦では幼い安徳天皇を抱き、西方浄土を求めて入水する。清盛の娘で高倉天皇の中宮建礼門院徳子は、幼い安徳天皇が御座船から飛び降りたと見るや、御自ら後を追う。建礼門院は潮の流れから源氏の武士たちにより救い出される。戦後は京都大原の寂光院で、尼として滅び去った一族の鎮魂に余生を捧げる。また出家して武家社会の欲望の渦から逃れようとする僧に西行と文覚がある。作者は、彼の等身大の分身として阿部麻鳥を創作した。彼と妻の蓬は、医者夫婦として人道の道を歩み、戦争の災禍を逃れてささやかな庶民の幸福を得る。
「新·平家物語」はこれらの多くの人々の生涯を、時代を追って描く大長編小説である。